柳田邦男『犠牲(サクリファイス)』を読んでひと筆

脳死基準を決める主要メンバーに選ばれたノンフィクション作家に起こった悲劇とは・・・

ー柳田節作品集6【神のはからい】ー
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京都  (写真は2020.1撮影)
日本庭園
『詩仙堂』
何時間でも庭を眺める人、人…
入口
借景が映える、こじんまりとした庭
ー柳田邦男『犠牲(サクリファイス)』
           を読んで随筆ー  

「神のはからい」   柳田 節
本文
 凡そ二十年程前、何を以って人間の死と為すか、日本の最先端医療で決定しなくてはならない事態が起きた。そこに、一人の男の人生ドラマが始まった。
 おそらく彼は、降り掛かって来た運命の過酷さに、思わず神仏を呪ったに違いない。恣意的な神のなせる技だと諦めはするものの、試練は想像を遥かに超えるものだった。
 精力的に仕事をこなし確実に業績を残していた彼は、迂闊にも家庭では、息子が精神を深く蝕まれていることに気づかなかった。
 彼の息子は中学時代、チョーク遊びで右目を負傷し、対人恐怖症に陥ったのが原因で精神科治療を受けていたが、二十五歳の時に首吊り自殺を図ったのだった。一命は取り留めたものの、脳死状態に陥ってしまった。親として、柳田はその現実を受け入れられないままの日々を送ることとなった。
 彼の名は柳田邦男。ノンフィクション作家として頭角を現し、二十年間、次々と作品を発表しその地位を不動のものにしていた人物である。そして、気づけば、先端医療に関しても、世論に影響を与える有識者の立場となっていた。臓器移植のため、脳死の基準を決める主要メンバーの一人でもあった。ところが、その彼の最愛の次男が、自らの命を絶ち脳死状態となってしまったのだ。そして、十一日間だけ生き続けたのだった。
 人の死を人間が決定するなどという、人間たちの驕りを神は許さなかったのかも知れない。あるいは、今後の医療の方向性を左右する重大事だから、自ら体験してから言え、ということだったのかも知れない。
 柳田は当初、冷静に科学的判断から合理的に脳死を人の死としてよいのではないか、と考えていたが、一転して、かけがえのない息子を失うことで、感情的に唯々その死を悼む一人の父親になっていた。それは当然、科学でも何でも割り切れるものではなかっただろう。降ってわいたような息子の脳死に、患者の家族の立場に無理やり立たされることになったのだ。これは偶然とは思えない出来事であった。
 柳田は残された家族の立場に立たされてみて、初めて気が付いたことが幾つかあった。死を大事にするということは、残された家族が死にゆく者との時間を大事にし、受容し納得のいく別れをすることであり、また家族が臓器提供についてはこれを決心できるように、周囲が配慮すべきではないかとの結論に至る。
 古来、人の死は心停止であることが自明のことであったため、人の死について厳密な定義は要らなかったが、医学の進歩により心肺機能の維持が人工的に可能になっていた当時、心停止を以って人の死とは言えなくなっていた。
   一方、臓器移植も発達して、出来るだけ早い時期の移植が可能になることが望まれたため、人の死をどこで決めるかが問題となった。
 そういう中で彼は、最初、脳死を以って人の死としてよいのではないかと考えたのだった。しかし、現実には日本の医療現場では建前のきれいごととなる恐れがあった。それは、これから移植され生かされる者に比べ、死にゆくドナーの命の扱いが軽んぜられる恐れのあることでもあった。
 合理的な欧米社会ではそれでいいが、無機物にでも魂が宿っているとされる日本文化には独特のものがある。それを考慮すると、死というものをある時点で線引きするのではなく、個人の選択の幅のある、面で決めようという考えがあってもいいかもしれない。日本独特のゆったりとしたファジーさの有効性が認められてもいいのではないか、と柳田の著書『犠牲―わが息子・脳死の十一日』を読んだ読者が指摘している。その通りかもしれない。
 結局、現在の日本において法的に脳死と認められるのは、臓器提供のために法的脳死判定を行った場合のみに限る、となっている。この決定は、柳田たちの意見が導いたものなのだろうか、全体としてファジーな結論となっている。いずれにしても言えることは、厚生労働省の『脳死下での臓器提供事例に係る検証会議」のメンバーであり、臓器移植法改正案の審議の際、参考人として意見を述べた彼が、脳死と臓器提供の問題に、一石を投じたことは間違いないだろう。
 柳田個人について言えば、実はベストセラーを次々と生み出していた陰で、さらに壮絶な戦いをしていた。家庭が崩壊していたからである。子供が小さい時から、既に妻が精神の平衡を失っており、彼が日常生活でその代わりまでもしていたのだ。
「妻のケアをしながら、執筆の仕事を増やすというのは、睡眠時間を棚上げにするということを意味していたが、そんな異常な状態に自分を投入しなければ、自分の再生などあり得ない、死を選ぶほど苦しんだ次男のことを思えば、睡眠時間が無くなることなんか、へでもない、生まれ変わるには、一遍死ぬくらいの覚悟が必要だ、と考えた」
と著書のあとがきで自ら語っている。

 彼の身に降りかかってきた現実に、私は厳しい神のはからいを感じざるを得なかった。

 因みに、同じ苗字だが、私は邦男氏との親戚関係はない。


柳田節 随筆作品集 & 散策

― 読んで & 歩いて & 書いて & 撮る ―   随筆春秋 事務局   「昭和の日々」(2008年刊)  (ダイハツミゼット、防空壕、肥溜め、南極調査船「宗谷」、オウム事件の本質…)

2コメント

  • 1000 / 1000

  • Gonta398

    2020.03.27 04:48

    こういう庭のある家に住んでみたいですね。我が家でも、手間のかかる芝生をむしり、庭に砂利を捲きました。石という点では同じですが……(汗)
  • Gonta398

    2020.03.27 04:34

    「かむながら」というのは神道の「あまつのりと」の最後の締めの言葉ですよね。正確には「かんながらたまちまえませ」と2回唱える。辺りの霊界を清めるとても力のある言葉です。柳田邦男氏がその血の滲むような苦闘の末、最後に行きついた境地ということなのでしょうか。