『ふたつある寅さんの団子屋』

葛飾柴又、寅さんのロケ地の団子店が二つある。さて、どっちがホント・・・山田洋次監督の粋な計らいを
ー柳田節作品集3ー


(写真)那須高原
手が大きくて、顔が見えないお地蔵さん
千体地蔵
殺生石は言い伝えのある石だそうな
紅葉の「つつじ吊り橋」



随筆「ふたつある寅さんの団子屋」
ー柳田節作品集3ー


本文

  テレビをつけると、『矢切の渡し』の風景が目に留まった。妻が言う。
「矢切の渡しって、どこだったかしら」
「確か、柴又の近くだよ、あの寅さんの」
「ふーん、一度、行ってみたいわね」
   週末を待って私達は、八王子の自宅から矢切の渡しへ向かった。首都高速を四つ木インターで降り、江戸川に向かって一般道を走ると、思いもかけない大河のほとりに出た。そこにはさびれた船着き場がポツンとあるだけだ。対岸は寅さんの柴又帝釈天がある。こちら側の船着き場は千葉県松戸市になる。辺り一面は畑で、見事に育った大きな白菜が沢山並んでいる。
   渡し舟は小さいが長めの木舟なので、十数人は乗れる。若い船頭さんが一本の櫂を操り、川に流されながら斜めに対岸に向かう。岸を離れると、観光ガイドに早変わりして色々話してくれる。これは確かに、のどかで絵になる風景だ。さすが、江戸から続く渡し船である。
   船着き場近くには、欲しいものは何もなさそうな、古びた土産物屋があって、簡単な食べ物を出している。そのわりに、観光地ずれして見えるのは、売店の設備のせいかも知れない。アルマイトで縁どりをしてある、日焼けしたデコラのテーブルに鉄パイプの椅子。懐かしい昭和のレトロ調だが、これ演出ではなく、ただ演歌の題名にひかれて来た人々相手に、安易な商売をしているのだろう
   あの有名な矢切の渡しが、こんなさびれたところなの、と妻が疑う。周囲を見渡すと、確かに矢切の渡しと書いてある。ここに間違いない。
   近くの人に聞くと、渡し船は今出たばかりだ。その昭和の安食堂に結局は入った。妻が好きなみそおでんを頼んだのだが、やはり、味は素人っぽくて、おいしくなかった。
「柴又の帝釈天って、近いの?」
  このままでは帰れないという、妻の気持ちが伝わって来る。
「川向うがそうだよ。柴又の駅がある」
じゃあ、寄って行こう、ということで、フーテンの寅さんの街並みを見ることになった。
   思ったより大きい、柴又帝釈天題経寺を見た。下町らしい雰囲気が境内や路地裏に漂っている。参拝を終えて、人出のある参道にまわると、『とらや』と書いてある店があった。
「あ、寅さんの店だ」と中に入って、映画のおいちゃんや妹さくらたちを思い浮かべながら、草団子とみたらし団子を食べ、妻と満足して帰途についた。
   ところが、数日後、新聞の訃報欄に、映画『男はつらいよ』の主人公、車寅次郎の実家のモデルとして有名な葛飾柴又の団子店の女将が亡くなった、との記事が載っているではないか。怪訝に思った。
   店の名が『とらや』ではなく、『高木屋老舗』になっているのである。
“え、あの店はひょっとして違う店だったのだろうか”そう思ってとらやで撮影した写真をひっぱり出してみた。確かに“撮影に使用した当時のままの階段です”と書かれた貼紙が階段の横に写っているではないか。間違いない、やはり、ここで撮影が行われたのだ。とすると、この高木屋老舗というのは何なのだろう?
  どうでもいいようなことだが、インタネットで調べてみた。経緯が少しずつ分かってきた。
  高木屋老舗は、映画『男はつらいよ』の五話から三十九話までの、実際のモデルとなった団子店なのだ。寅さんたち映画の俳優やスタッフたちは、この店をいつも衣装替えや休憩に使わせてもらっていたという。高木屋老舗の女将と映画の連中は、山田洋次監督や渥美清さんも当然顔なじみで、記念写真を一緒に撮っている。高木屋老舗が映画の実際の撮影現場に間違いなかった。
  では、とらやは? 同じ参道の並びにとらやという団子店がもう一軒あるのだ。一話から四話までは、このとらやでも実際に映画が撮影されている。それに、三十九作までに登場する映画の中の団子店と同じ『とらや』の屋号なので、高木屋老舗よりピンと来る人も多いのだ。さらに複雑なのは、このとらやは、撮影当時は『柴又屋』という別の名前であったという。
  その柴又屋がどうして、とらやになったのか。実は昭和末期になって、柴又屋は、経営者が変わり、屋号をとらやに変えたのである。映画の中では、昭和六十三年ごろの三十九作までは、とらやという名前だったから、そうなると、実在のこのとらやの方が本物だと思われてしまうのではないか。ロケなどで実際世話になっていたのは、本当は高木屋老舗である。
   これでは私がそうであったように、寅さんのモデルの店は、別のとらやだと思われてしまうだろう。もちろん、二軒ともに実際の撮影に使われていたに違いないが、モデル店は、どちらかといえば、高木屋老舗である。この店を抜きには語れない。
   このような経緯から、双方に配慮して山田洋次監督が、四十作目から『くるまや』に変えたのだろうと言われている。
直接、それ以上確かめられなかったが、この辺りが真相のようであると、ある情報ツウは言っている。その辺が話の落ち着くところなのだろうと思った。
   それにしても、複雑な事情を持つこの二軒の団子店に対し、山田洋次監督たちは粋な計らいをしたものだ。私は、その気配りと思いやり、和を以って尊しの精神は、さすが寅さんの活躍した、人情味の溢れる下町のことらしいと、一人感心したのだった。


柳田節 随筆作品集 & 散策

― 読んで & 歩いて & 書いて & 撮る ―   随筆春秋 事務局   「昭和の日々」(2008年刊)  (ダイハツミゼット、防空壕、肥溜め、南極調査船「宗谷」、オウム事件の本質…)

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