柳田節 作品集1「時を越えて」オウム事件が意味するもの

(ひたち海浜公園のコキア。10月28日撮影)

      



随筆  ”時を越えて”
―オウム事件は、日本文化の壊死を示唆している―
柳田節著『昭和の日々』より抜粋
 (2019年10月に一部改訂しています)
(出版図書及び電子図書「昭和の日々」は、元々2008年出版したもので改定前のものです。改訂を準備中です。改訂版「時を越えて」については、この欄でお読み戴ければ幸いです)
                                               

①静寂を破って

 平成七年三月、私はいつものように朝少し早めに出勤してパソコンを立ち上げ、仕事の準備をしていた。そのうち、いつもならもう顔を見せる先輩の相沢さんが、その日に限って九時を過ぎても現れなかった。
 電話が鳴った。彼だ。電車が止まって遅れるという連絡だった。ハンで押したように同じ時刻に姿を見せるまじめな彼にしては珍しいこともあるものだと思ったのを覚えている。
「地下鉄が事故じゃ、しようがないよな。日比谷線だろ、相沢さんは」
 と、いま電話を受けた別の同僚が言った。結局、あとで聞くと日比谷線ばかりでなく、丸の内線、千代田線もそのとき止まっていたのだという。それにしても何かおかしいと気づいて応接間のテレビをつけてみると、そこには異様な光景が映し出されていた。消防自動車が赤色灯を回転させたまま何台も地下鉄の駅の外に待機している。そのうち救急車がサイレンを鳴らして走り出す。けが人が何人も出ているというが、どういう状況なのか皆目見当がつかないと、実況中継のレポーターが言った。
「サリン」という耳慣れない言葉がテレビから聞かれ始めたのは、それからだいぶ経ってからのことだった。遅れてやっと事務所にやってきた相沢さんが言った。
「いや、あと一台早いのに乗ってたら、おれもアウトだったよ」
 こうしてオウム真理教の「地下鉄サリン事件」は十ニ年前、日常の平穏を破って突如引き起こされた。その後、新聞、テレビ、週刊誌などに書きたてられて、少しずつ明らかになった事件の全貌には驚くべきものがあった。

②オウムの若者たちへの疑問
「オウムの青年たちが、『殺人が正しいことだとか、人のためになることだからやれ』と強要されたとき、それはおかしいと、きっぱり断れなかったことが、まことに残念です」
 私がそう言うと、相沢さんはこう言った。
「正しいことは正しい、正しくないことは正しくない、と言えるだけの、拠り所となるものが彼らの内面になかったのだろう。そのことが重大な事件を引き起こす原因となった、とおれは見るな」
 四つ先輩の相沢さんと私はそれ以来、何かにつけオウムのことについて語りあうようになった。考え方が一致しないこともあるが、実にいいことを言っていると共感できるときもあった。
 結局、事件は平成の世になって起きたのだが、その本当の原因について考えると、やはり、これは昭和の問題だという意見で相沢さんと私は一致した。相沢さんは、それも昭和ニ十年にすべては遡る、日本人が日本人らしさを捨てたときだという。私にはよく分らない。
 事件を引き起こす原因となった「正しいことは正しい、正しくないことは正しくない」 と言えるだけの内面の拠り所とは、良識のようなものかも知れない。そうであれば、なおさらことは厄介だ。良識は人の中でどうやって作られるのか簡単なことではないからだ。
 去年、定年で退職してから久々にやってきた相沢さんが、コーヒーを飲みながらこう言った。
「それはそうと、あれからもう十年以上経っているだろう。そろそろ、あの事件は何だったのか意味が解ってもよさそうなころだよな」
 相沢さんは思い切ったことを言う。私は私で勝手に思うのだが、他人ながら彼らを見ているとやるせない気持ちになってくる。彼らも一人ひとりは悪人ではなく、むしろ、まじめな好青年だ。それがなぜ、あのような許されざる深みにはまったのか、心情を思うと哀れになる。そう思うのは私だけだろうか。
「いまや新聞を開ければ、殺人や自殺のニュースが絶えない時代になったが、それも、大いに関係があるんじゃないか」
「唐突ですね。関係あるとすれば、単純に言って戦後教育の問題って感じですかね」
「日本の古くからの良さを教えとかなきゃ、この国だめになるよ、ほんと」
 相沢さんは国粋主義者でも古い人間でもない。戦後生まれの普通の団塊世代のおじさんだ。
 戦後、オウム、現代を考え合わせると、秋の夜長に、あれやこれやとひとりでに想像は駆け巡る。それらは関連性があるのだろうか。
 それにしても、宗教は人を救うものだったのではないだろうか、よりによって殺人事件を起こすとは大きく何かが狂っている。地下鉄サリン事件に代表される一連の事件で被害を被られた方々のご心情を心よりお察し申上げたい。
 
③オウムの若者たちの夢
「オウムの青年たちは高学歴の秀才が多かったし、また人生に関してもまじめに考える若者たちがいたと聞きますが、どうですかね」
「つまり、とんでもない事件を起こしたのは、頭が悪かったわけでもないし、ひねくれ者が反社会的に起こしたものとも違った。にもかかわらず、どうしてあのような事件を引き起こしたかだな」
 私は、当時のある若者の話が印象に残っていたので、それを今日は相沢さんに聞いてみようと思っていた。
 「相沢さん、元信者で当時、『オウムからの帰還』という本を書いた高橋英利さんを知っていますか。彼があるときテレビのインタビューで語ったのを聞いたんだけど、それは事件の凶悪さと裏腹に、行き場のない若者の純な思いが感じられるんですよ。読みますから聞いて下さい」
 その前に高橋英利さんについて一言。オウムから脱出した元信者ということで、一時期ときの人となり、瀬戸内寂静さんとも対談したことがあった。そのころ、事件がマスコミに大きく取り上げられ、他の元信者たちもテレビに登場したが、声を変えたり、モザイク板の陰に隠れていた。ところが、彼だけは正々堂々、カメラの前で自分の名を名乗り姿を晒した。オウム報復の危険がまだ予測されるころのことだ。
 さて、彼はテレビのインタビューに答えて、こう語っていた。これはオウムの青年たちの心情を代表しているとされたが、何の番組だったか思い出せない。当時、印象に強く残ったのでメモしていたものだ。
(高橋英利氏)
「まあ、世の中ね、勉強してがんばってきても、自分たちがどんなに一生懸命やっていっても 、それを活かし、奉仕する場所はなかった……。本当はお金なんかほしいわけじゃないんですよね。そんなのはぼくたちが生まれる前に、先人たちが作り上げた観念であって、そんなものを僕たちは、目的として勉強してきたわけじゃないんですよね。自分たちが何のために生きているかってことを問いかけて、それはいったん、ちょっと忘れかけたか知れないけれど、それはよみがえります。ちょうど、大学生くらいのときに。
 そして、社会に出るときに、いったい社会に対して自分はどういった価値があるのか、自分は何のために、役割となれるのか、それを問いかけていくと、それはどんどん純真なものにね、奉仕していこうということになってくると、社会の利潤を追求する経済理念の中に埋没することに、ぼくは、魅力を感じなくなってしまった。たぶん、そういった若者たちが多いのではないかと、感じています」
 
「つまり、高橋君が言いたいのはこういうことだろう」
 聞いていた相沢さんが話し始めた。「それなりに目標を持って受験勉強をがんばってきたが、卒業して実社会に出る段になって、はたと困った。やりたいことが職業の中になかったのだ。一生懸命、勉強してきて、まじめな若者たちはそれを活かして世のために尽くす場所が欲しかった」
 私自身、思い出すのは昭和四十年代、大学生になって、何を言ってもどんな考え方をしても自由だと教えられて喜んだことだ。しかし、一見、自由の世界に来たようだったが、考えてみると我々戦後の教育を受けてきたものは、逆に何が正しいかを教わったことがない。にわか仕立ての民主主義や自由主義は、結局、戦後の日本人に価値観の混乱を巻き起こしただけだ。大学での講義では、百人いれば百通りの考えがあっていいし、それぞれみな価値があるという。だがこれは、すべて自分で考えて自分で答えを見つけろということに等しかった。
 そもそもが、中学・高校の授業でも、人はどうやって生きていけばいいかは教わっていない。授業は知識だけを教えた。ところが、生きていこうとすれば一つの立場に立たねばならない。いやがおうでも、一つの価値観を持つことになる。
 オウムの若者たちが見た実際の世の中も統一された価値観がなく、その意味では混乱した世界だったと思う。悲しいことだが、その中で金だけは一定した価値を持っていた。敗戦から見事復興を遂げた日本が一時期、『エコノミックアニマル」と海外から揶揄(やゆ)されたことは、そのとき、金狂いの価値観しか抱けなかった日本人の実情を投影している。
「したがって、はっきりしているのは金の世の中だということだ」
 相沢さんが口を開いた。続けて言う。
「がんばって東大出ても結局は金か地位かしかないのかという現実に突き当たった。だったら医者になって人を救ってもいいし、先生になって人を育ててもいいと言われるが、それでも満たされない何かがあったのだろう。純粋に生き甲斐のあることがやりたかったのだ。皆が「もの」を求める時代に、彼らは心を求めた。その心が満たされることのない、いや魂のない時代に閉塞感を感じていたんだ。
 人間の本来的な生き方を問うて得られた、自分のためでなく奉仕したいという(質の高い)彼らの望みは叶えられなかった。そういう自分を活かすところがない。生き甲斐がないんだ。一流会社に勤めて『社会の利潤を追求する経済理念の中に埋没すること』も望まなかったのだと思う。金のためでもなく名誉のためでもない、本当に自分にとって価値あると思える生き方をしたかった。したがって、どう進んだらいいか見当がつかない。職業についても、では何がいいのか定まった目標を持てるようなものが見当たらなかった。内面で八方ふさがりだった。そんなところだろうな」
  
④文化と伝統の意外な価値
 しばらく経ってから、「ちょっと寄ったよ」 と相沢さんが訪ねてきた。また、オウムの話だった。
「あのとき、衝撃は日本人全体に走った。そのショックで日本人は目覚めるべきだったんだ。日本人らしい日本人に帰るはずだった。ところが、欧米化した日本人にはそれをキャッチできるだけの力は残っていなかった」
「降って沸いたようなこの事件が、何のことだか分からない日本人ばかりだったってことですね」
「そうだよ。だが、例外はあるもので、今日は新聞の切り抜きを持ってきたんだが、あのとき既に、一部の人たちの潜在意識には鮮やかにその答えは映っていたんだ。というのも、『なぜ若者はオウムに走ったか』という題で論文を募集した新聞があったのさ。二本の入選作に、この事件の本質のひとつが見られると思う。日本の文化や伝統が深くかかわっているってことなんだが……」
「オウムの問題は、現代人が宗教の扱いをなおざりにしてきたことへの報復と、戦後教育の知的偏重に対する警鐘を含んでいると言えませんか。また、日本人のアイデンティティに関わる文化や伝統の問題をも含んでいるってことだとすると、これから国際人として活躍する日本人にとって、自国の文化を知ることは一番必要なことですよね」
「そうだな。それにしてもすごいのは、あの当時、事件の三ヵ月後に募集した論文が、もっと時間が経ってみなくては分らないはず、そう思っていたんだが、そうじゃない。今見ても、本質を直覚していたってことだよ」
 そこで相沢さんは当時の産経新聞『私の正論』(平成七年九月五日付)の入選論文を解説し始めた。
「第一位に入選した会社員の前田嘉則氏はこう言っている。
 なぜオウムに走ったか。彼らには主体性がなく動機が希薄だったところ、逆に動機があった教祖に実は選ばれた。つまり、彼らは自分の内面の弱さから教祖の餌食にされたというのだ。
『一言で言って、彼らには自我(伝統的価値)がない。因って立つ自我がないから、新しい教理と対決することがないのである』
 つまり、オウムの若者は、自分の生まれ育った環境で育まれた価値観――良識と言っててもいいのかな、そういうもので、別の価値体系を持つオウムという宗教と対決して勝つはずだった。ところが、その拠って立つべき価値観が育っていないので対決すらできなかったというのだ。問題はなぜ、その価値観が育っていなかったかだ。
 第二位に選ばれた高校教員、飯塚恵一氏は、冒頭で、こう言っている。
『現代の日本人には、皆が因って立つべき(価値)が存在するでしょうか。否と言わざるをえません。肥大化する欲望をみたすことに夢中になり、価値の問題は置き去りです』
 その因って立つべき価値をもたない環境の下で、否と言えない若者たちが育っていったということだろう。
『つまり、日本国民の多くは、欲望の波の中に漂いながら、価値観という羅針盤も持たぬ根なし草と化して』いって、また、
『国民的・地域的伝統を伝えるべき場としての家庭・学校が、その機能を喪失したといわれて久しい状況です。良いことは良い、悪いことは悪い、だめなことはだめ、という当たり前のことすら教えてもらえないまま成長していく者たちがなんと多いことでしょう……』
『彼らは確かに受験エリートだが、価値の問題に真正面から正攻法で取り組んだことのない点では他の若者たちの多くと同じです』
 ではどうしたらいいのか。飯塚氏は言う。
『今こそ私たちは、日本の伝統文化に目をむけ歴史の検証に繰り返し耐えてきた、根本的価値の再発見につとめるべきでしょう』と。
 合わせて、一人ひとりが(いかに生きるべきか)をまじめに考え、自己を反省する機会を与えられる場として、家庭・学校・地域社会を再生させねばなりません』そういうことなんだ」
 相沢さんが、最後に付け加えた言葉がまたすごかった。
「今、家庭が、地域が崩壊していることは、子が親を親が子を殺め、また、友人知人をも手にかける事件が頻発している社会世相を見ればよく分る。だからこそ、日本の文化を大切にしていくことが、今、必要なんだ」

⑤道徳心を養うのは文化や伝統
 相沢さんが例によってまた、訪ねて来た。本を手に持っている。
「相沢さん、それは新渡戸稲造の『武士道』の本じゃないですか、どうしたんですか」
「いや、この本の冒頭がやはり、重いな。オウムのことについてもさ」
 私も大体のことは知っている。この本は冒頭で、西洋人から宗教教育をしないのか、日本人はどうやって道徳心を養うのかと問われ、戸惑った新渡戸が、自分の育った環境を振り返り、実は、日本では、武士道がその道徳心を養う役割をしていたと気が付き、武士道について書くに至ったその動機を簡潔に述べているのだ。
 その有名な一節はこうだ。
 新渡戸がベルギーを訪問したき、一緒に散策していた法学者ラブレ―が、宗教の話題になった。
「あなたがたの学校では宗教教育というものがない、とおっしゃるのですか」
 こう言って驚きのあまり散策の歩みを止めたという。そして、
「……宗教がないとは。一体あなた方はどのようにして子孫に道徳教育を授けるのですか」と繰り返して言った。
 その時、新渡戸はその質問に即答できなかったという。なぜなら自分が幼いころ学んだ人の倫たる教訓は、学校で受けたものではなかったからだ。
 そこで、そのような善悪の観念(価値観)を作りださせたさまざまな要素を分析してみると、それは武士道だったことに思い当たったというのだ。
 示唆に満ちたこのエピソードに、私は新鮮な衝撃を受けたのを覚えている。
 相沢さんが口を開いた。
「ひとつは、単純に宗教教育が日本にはないこと。二つ目はこの武士道が書かれたのは明治時代だが、ラブレーの心配する宗教教育は西洋では人間として必須で、つまり、キリスト教が道徳教育そのものだが、日本では武士道だったという話だ。したがって、明治時代の人々の、いわば自己の頼るべき精神的バックボーンは、突き詰めると武士道という古い文化にあったと言えるわけだ。
 己で判断する「良識」というものは、自分の属する文化や伝統という、精神的なバックボーンからなっている。
 西欧化が進み、さらに決定的となったのは昭和の敗戦で、このとき、日本の文化は否定され、これらの規範は完全に失われたのだ。だから、戦後生まれの若者に、自己の良識にしたがって判断できる力がないとしても、不思議はないのだ。
 我々は、敗戦国としての精神的、文化的痛手がどれだけのものであったかをよく認識すべきで、そのことの意味する大きさを知るべきである。高度経済成長期を経て、豊かな時代へと日本は変身してきたが、木に竹を接ぐようにしてできた戦後の舶来文化は相変わらず、根無し草のごときものに過ぎない。これを今、一考すべきときだろう」
 相沢さんはだんだんエスカレートしてすごくなってきた。そこで私は、違う話題を提供してみた。
「先日、ヨーロッパから戻った外国通の友人が、旅行の感想をこう言っていましたよ。日本では携帯電話の新型が次々と出てくることから、いつも新しいものを求めたがるがという話になったのですが、ヨーロッパでは違う。古いものを大切にする。石畳や街並みでも、使う道具にしても、古いものに誇りを感じているようだ。そういう古い文化に、彼等は魅力を感じるという。日本では今、『古きよきもの』を捨ててしまってもったいない、と友人は言っていました」
「そうだよな」
 相沢さんは答えた。

  ⑥日本人のアイデンティティ
 私は、敗戦によって日本人が被ったであろう精神的な痛手の深さについて考えるとき、ある心理学者の言葉を思い出す。
 臨床心理学者の河合隼雄氏が著書『日本人とアイデンティティ』で自らの体験についてこう言っている。
「青年期に私は日本の敗戦を体験した。日本人全体が世界に対して負い目を感じた。それを裏返すように、日本人は国際社会の一員として認められようと努力した。私は青年期の特徴としての極端さも加わって、相当な西洋崇拝、日本嫌いになった。
 ところが三十歳頃になって、アメリカ、スイスへと留学し、いくら努力しても、自分はやはり日本人であることを認めざるを得ない。といって、日本人は素晴らしい! という愛国者になったわけではなく、日本人は日本人なりの特徴を自覚しつつ、それを基にして国際性を持たねばならない、と考えるようになった。
 ……最近では国際性を身につけるためには、日本人としての特性を意識しつつ、かつ世界の人々とつきあってゆく能力や方法を身につける、というふうに変わってきた」
 実に、敗戦後の日本人の心理的変遷をよく言い現していると思った。
「心理的な面ではまさにその通りなんだな。しかし、日本人のアイデンティティが見失われたままなのは、日本人のよって立つべき文化伝統をすべて否定しているからなのだ」
 相沢さんはそう言った。

⑦ベンツと軽自動車
「なあ、ところで、どうでもいいことなんだが、オウムがパソコンを作って秋葉原で売っていたのを知ってた?」
 相沢さんが思い出したように言った。
「製品の評判は、激安だが、故障も多いというものだった。特徴は、一流のインテル製品、ペンティウムだの何だのを使っているから、コンピューターマニアからすればうらやましくなるような性能を持っていた。それでいて安いパーツを台湾で仕入れてきて自分たちで組立てていた。
 最終的に製品の性能の保証はない。つまり、車に例えていえば、軽自動車にベンツのエンジンを積んで走るようなものだという。いずれ無理が出るだろう。それは教団そのものの体質に言える例えだと思った。経典はインドの立派な本物だが、それを乗せている教団そのものは自己流の、お粗末なありあわせでしかなかった。それがオウムのすべてを物語っている、というんだ」
 確かに、ところどころ、本物に見えたりするのだが、全体としての保証がない。駄菓子屋のまがい物ではあるまいし、やはり、似て非なるもの、どこかおかしいと、私も思った。

  ⑧文明の遺伝子
 さて、最近面白いのが、遺伝子の世界だ。特にサムシンググレートの話だ。相沢さんの顔が嬉しそうに笑った。
「世界に先駆けてヒト・レニンの遺伝子の解読に成功し、一躍世界にその名を轟かせた筑波大の村上和雄名誉教授は、『サムシンググレート』の存在を指摘している。知っているよな」
「ええ、つまり、遺伝子には人間が生まれて死ぬまでの間のすべての情報が前もって書き込まれていて、こんな大量の情報をだれがどうやって書込んだのか分らないそうですね」
「そう、村上教授はそれを思うと体が震えるほどの感動を覚えたそうだよ。『以来、生命の神秘となぞの世界のとりこ』となったが、結局、『人間にはまだ分らない、『未知の何者か』が遺伝子をコントロールしているとしか』思えなかった。例えて言えば神や仏かもしれないし、大自然の摂理かもしれない。その存在のことを『サムシンググレート』と名づけたのだ」
 その村上教授が言うには、『遺伝子の多くは眠っている』が、『その良い遺伝子のスイッチをオンにすることが出きれば、可能性は飛躍的に向上』するという。そして、いい思いが良い遺伝子をオンにするのだと確信している。つまり、いいこと思うと、いい風になるということだ。
 また最近、村上教授はこう言い切っている。「自然と共に生きるという、日本人が培ってきた文化や思想は、世界の平和に役に立つ。科学・技術を高いレベルでマスターしている日本人だからこそ、その高貴な精神文化を世界に向けて発信できる。いまの日本人は、この精神文化の遺伝子が眠っているに違いない。この遺伝子をオンにすれば、日本は、科学・技術と日本文化を併せ持つ素晴らしい国になり、世界に貢献できる。二十一世紀は日本の出番である」
「これは本当のことだろうな。既に色々な分野で実際に確認されつつある。これからの日本人は、一度は捨てかけた自分たちの文化や伝統をもう一度拾い上げてよく見直す必要がある。ということは、思いやりを持ち、足るを知り、和を以って尊しとなす、本来の日本人に一度還ってみることだ」
 相沢さんはそう言う。それについて、私も何となく分かってきたような気がする。
 結局、オウム事件の奥に感じられたものは、固有の文化・伝統の不在だ。そして、それは日本人を培ってきた文明そのものが死にかけていることを意味している。
戦後の昭和のあり方でもあり、国際社会の中での日本人のあり方でもあると思う。いずれにしても、自分の中の日本人らしさを蘇らせることなのだ。
「相沢さん、やっと念願の答えらしきものが出てきたようですね」
 

参考文献
「オウムからの帰還」 高橋英利著 講談社
「私の正論」(平成七年九月五日付)産経新聞社
「武士道」新渡戸稲造著 三笠書房
「日本人とアイデンティティ」河合隼雄著 集英社
その他、村上和夫氏の著作より



随筆春秋 柳田節 作品集 & 散策

生かされて生きる   同人誌 随筆春秋 /『昭和の日々』   柳田節作品集1「時を越えて」 オウム事件が意味するもの

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